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2013年3月 9日 (土)

新人教育 その34 障がいの受容

最近は あんまり 聞こえてこないんだけど

 このような 仕事をしているから

  遠慮もあって 周囲の声が 私に 届かないだけかも 知れませんね・・・

実は 障がい者の居ない 世間一般の家庭の方は

 知的障がい者を 抱えている 家庭を 見ると


可哀想にね  ウチは 障がい者が いないから良かった

 生活が 大変だものね~

  あの子 将来 どうなるのかしら 心配だわね~

ねぎら
労いでもない 感想でもない 安堵感でもない 

 何とも ため息のような 言葉として 

   発するのも 躊躇われるような コトバが あるのも 事実ですね・・


さて

 視点を 知的障がい者 本人に向けてみましょうか?

彼らは 可哀そうだと 思うかい?

 
 それじゃあ

 今度は 生まれつき 先天的な 身体障がい者

彼らは 可哀そうだと 思うかい?


 ワタシは 目に見えるような 障がいを 有していないんで
              
はばか
大きな声で 云うのは 憚れるんだけど


 彼ら自身は 我々が 思っている以上に 気にしてないってことなんですよ

それよりも

 普通に 相手してもらえない 異質の目で見られる

  そのことに 心を 痛めている


異端の目で 見られても 知的障がい者は 

 程度に 差こそあれ 開き直るの 上手だし


問題は 知的には 問題の無い 身体障がい者ですよね

 大人になるにつれ みんなとは 違うんだ

だから 一緒に 遊べないんだ という ショックは 受けるでしょうね

 でも 物心ついた時には 片手や 片足が 無かったものだから

それが 当たり前として 成長してきてるんですよね

 ですから 喪失感と云う意味では さほどでも ないんだろうと 思うんです

勿論 人は 多様ですから

 これを そのまま 万人に 当てはめるのは いけないことだと 思いますよ

  あくまでも ワタシ個人の 意見 ・ 思いとして 考えてくださいね

大変なのは

 中途障がいの 方々だと 思うんですよね

ワタシも 想像できません

 障がい受容の過程というのがあってね

心理学を 本格的に 学んだわけじゃないので  本からの 受け売りですけど

 
 障がいを 負ってしまうと

まずは ショック期を 迎えることになります

 肉体的苦痛は 大変なものがあると思うんですけど 

心理的には 鈍麻した状態ですね

 生物学的保護反応で 離人症的な状態となります

次に 否認の時期を 迎えます

 受傷前の 元気な時の姿を 追想しながら 

治る!と 信じることで 今の 辛さに耐えようとするんです

 この時期は 障がい者と 自分が 同一視されることへの反発があります

裏腹に 健常者に対する 嫉妬 羨望を持ち 依存的にもなります

 次に 混乱期を 迎えます

願望の時期があって 障がいがあることを 承知しながら 治った姿を 追い求めます

 そして 苦悩の時期では 治りたい気持ちを 抱きながらも 

そのような 自分を 否定せざるを得ない 葛藤

 否認では 適応しきれない 障がいの現実と 直面するわけです

攻撃性が増し 他罰的になると怒り 恨みの感情を ぶつけるようになります

 逆に 自罰的になると

悲観にくれ 抑うつ的になり 希死念慮や 自殺企図に 及ぶ 可能性があります


 決して 非可逆的ではなく 
心は 揺れ動きます


それを 乗り越えると

 現実を 肯定する 努力の時期へ 入ります

障がいをもって”生きる”ことを 認めようと 努め

 自分なりの 生活可能性を 模索し始めます

でも 建設的な 自己努力に対する 不覚が 起こる時期でもあります

 覚悟が しっかりとは 定まっていないんですね

その後

 受容期 適応の時期を 迎えるわけです

現実条件で 生きることに 努力する

 ありのままの姿を 是認

  可能性の拡大と 実践

新しい価値観の 獲得がなされるんです

 社会的な 新しい役割を得て 生活を始め 

  そこに 生きがいを 感じるようになります


・・・ と あるけどさ

とても とても 想像できないですよ

 苦悩の時期なんて どうやって 乗り越えるっていうんでしょうね

ワタシなんかにゃあ 無理!

でもね 

 上手く 言えないけどさ

その・・・ このように 中途障がいを 背負って

 それを 乗り越えて 生き抜く人たちって

魂の ステージが 上がるんでしょうね

 二次元とか 三次元 四次元とか 

科学で云う 次元というのとは 違う 別の ステージに 登れるんじゃないのかな


考えて見りゃあ

 五体満足・五臓六腑が元気で 死ぬ人って いないよね

老衰死にしたって 内臓が 衰えて 機能しなくなって 亡くなるんでしょ

今 まあまあ 元気な人だって
 
 あっち 痛い こっち 痛いって 

それを 我慢しながら 仕事してるんだよね

 早いか 遅いかの 違いだけで 

みんな あっちこっち 痛めて いずれは 召されるんでしょ

全ての 身体苦を 脱ぎ捨てて

 未練すらも 消失して・・ いや  未練という 言葉すらも 消え失せて

だから 精神的苦からも 解き放たれて

 そこに 意識は存在するのか しないのか・・・

綿毛のように 頼りないものになるのか 

 念として 漂うものなのか・・・   いずれにしても    あの世とやらに・・・

ほらっ 昨日 お月様のような タマシイの 話しをしたでしょ

 実際 この目で 見てるからね~

絶対 次の ステージがあると 思う! うん これは 確信!

 ご先祖さんとか 先に 逝った人たちと 会えるんだべかね?

いやあ~ ババと 会ったら まずは じなられるべな 

 オメだら ども なんね~ とか 言われてさ  ははは

 

おっと 脱線しちゃったね

 それでね 思うんだけど・・・

ワタシが さっき 話した 先天性の障害者の 気持ちってのは 一人ひとり 違うだろうし

 勿論 本人じゃないから

  十分じゃないし 間違った見解かも知れない

ただね 親御さんは どうだろうね

 健康で 玉のような 赤ちゃんが 生まれてくるんだと

信じて疑わない ご両親

 それなのに 障がいが あるって 知った時の 心境

きっと 中途障がい者と 同じような 障がい受容の過程を 辿ると 思うんだよね

 ですから 彼らの親や 兄弟姉妹は 

  苦行のような 人生を 歩んできた方達なんですよ

様々な 親御さんが いますけど

 その 苦労を おもんぱかって お付き合いするように してくださいね 

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コメント

鬱病も同じ?
私は軽症だけど、向かいの家のお兄ちゃんは大学まで行き、ぼう大手電話会社に働き
かなりのいじめに遭い、重症な鬱病で帰宅。
私が越してきた頃は絶対目を合わさない人だった。
この2年くらい前から少し活動的になり、外で会うと挨拶してくれるようになった。
高齢のお父さんと一緒になって雪かきもするようになった。
親御さんは息子さんが帰ってきて相当辛かったと思う。
隣のおばちゃんからのまた聞きだけど、たまに猛烈にきれるらしい・・・
髪の毛の色が違う、他の人と顔が違う、そんな感じで受け止められると良いよね。
田舎はこれが出来ない人が多い。
そして執拗なほどのいじめをし、陰口を叩く。
私は昔からどんな方にも同じく接してたよ。
親のしつけだったのかな?
好きで障害を持って生まれた訳ではないし、途中事故や病気で障害が発生する方もいる。
大変だろうな?って確かに思うけど、口には出さない。
松葉杖で階段を上がる人が居たら声を掛けて手を貸したりはしてる。
そうそう、全然違うけどね、ヤクザさんにも私は普通に接するんだよね。
変な奴って言われるけど・・・
よく聞く話で「普通は」この普通って、何を基準にしてるんだろう?
結局自分の周りを見ての普通でしょう_?
変だよね。
いろんな人がいる。いろんな仕事がある。

うん。よく分かったよ
生まれつきの障害者は それが当たり前だから
周りとは違っても ちゃんと受け入れてるよね。
中途障害者の悲劇は 手に取るように分かるよ。
事故や 病気で 昨日までの自分がいなくなる!
そりゃあ ショック!しょっく!だよ。
苦悩し 受容して 5次元まで魂が上がる方は
その後の人生は 素晴らしいものになると思う。
数少ないかもしれないけどね。
私も 似たような人生送ってるから
人は 自我なくして生きられないし・・・(大多数の人ね)。
自分の体験しか理解できないし 信じられないしね・・・。
人は 死ぬ頃にならないと 何にも分からないだろうね
いいことも悪いことも この世で起こったことは 自分が引き寄せてきたこと。
生まれつきの障害は 前世で本人が決めてきたこと。
でも、みんな 明るい光に守られてるよ
そう 信じて 信じなきゃ 光が届かないからね


のらデジさん どうも~

人種  容姿  人柄  年齢  学力  性格  財力  趣味

習慣  職業  経歴  才能  体力  性差  宗教  常識

まだまだ たくさん あるだろうね 

 要するに 比較ですよね

幸か不幸かも そうですよね   
 自分の感じ方 他人の感じ方 その差を 異常だと 感じてしまえば深みに嵌る

それに 子どもに イジメや ケンカはいけないことだと
 言わなければならぬ 大人が 戦争するわけですしね

「普通」の基準というのは 時代背景、社会の成熟度に影響されるでしょうね
 仮に 影響されてても 個人の成熟度で 払拭できるものだと信じたいですね

こんにちは。
私も、ある種「中途障害者」^^
20代半ば迄は、バレー馬○だったし〜

変化も急では無くって、将来の不自由さの深刻さの実感も無かったし。
直る見込みも無い「予後は不良」って言葉の意味と
実生活の中で味わう「進行」はかなり精神的にキツかったです。

凹みと精神的上昇を繰り返しながらの受容って
本当に修行僧みたいなもの。
この状況は、現在進行形だけど

だけど人間、前を見て立ち上がらないと生きていけないんですよね。
神様が、そんな風に創ったのかな?

そんな行程を経て来た次は、
「どうせなら」って開き直って明るく過ごすぞ!の心境。

自分の杖姿や、必死の移動姿に感じる視線は確かに感じますが。
負けないぞ〜〜〜(自分への言い聞かせ)^^

同じ用な事を、思い出して(u_u)
食品 サンプルん販売を頼まれ
スーパーのマネキンを手伝っていた
時のことです。

日にちを違え、似たような、
私の目にはソックリの
知的障害を持つ、父子に出会ったことがあります。

一方は、父も子も疲れ果て、
子は、これ以上の地獄は無いという心と顔、
父親にも、ああ〜これは何の因果であろう、
と、いう凄まじい苦しみを感じました。

もう一方の、父子は真逆で、幸せ、幸せ。
父親からは子を持て、育める幸せを、
春のー日差しのような幸せを感じ。
子からも、しあわせq、ただ、ただ、幸せ、幸せと。。。

人間の意識、思い、心持ちだけでこんなにも違う。

私は、見せて頂いたのだから、しっかりと覚えておこう。
生きるという時の心構えを!と、そうかんじました。

きっと、誰かを否定するのでは無く、
あなたは、どう感じ、どう生きて行きますか?

と、謎かけされているのではないのかと思っています。

そうだね、知的障害のお子さんを抱えてるご家族みると
気の毒にと思ってる自分がいたりするよね
それに比べれば、自分は幸せとかさ思ったりして
自分はいかほどの人間?〜〜なんだけどね
姫乃の田舎の小学校は
名前忘れたけど障害児のクラスがあって…
今も覚えてる藤井先生、余談だけど
音楽のクラスとか、遠足となると
障害を持つこと一緒に行くわけよ
姫乃は、里ちゃんという女の子となぜか仲良くて
一緒に学校もいってたなあ、どうしてるかなあ
ふと、思い出しました!
カブさん、夜勤開け?ご苦労様です(^O^)/
島らっきょう、食べる??

昔読んだ、五体不満足の乙武さんを思い出しちゃったな~~
あのおかあさん、乙武さんが生まれたとき、
「かわいい」って、第一声だったんだよね、たしか!!
すごいおかあさんだ、わたいには絶対マネできんとおもったもん。

ウチの父は 糖尿病の合併症で壊疽になって
左足を 膝下10cmから切断してるんです。
もう10年になるかな~。
けど、手術してすぐから へっちゃらみたいでした。
義足作る時も 「海賊のキャプテンのごたる木の棒がよか」
なんて 冗談言ってたくらい
人目を気にせず、平気で義足を スポッと 外したりするから
周りの人が ギョっとしてます (;´▽`A``

愛ちゃん どうも~
 「同情」の 曖昧さについて 考えちゃいました
受けて 送り手で 感じ方が違う 誤解が生じやすい 最たるものかな~と
 
 オイラは ブログで 色々な方と出会って 色々な考え方や生きかたに触れて
特に 異質?な 愛ちゃんの思考に触れて 自分の 奥底の魂が 動き出しているのを
感じてます
 ですが 魂の外側を 覆ったサビは おいそれと剝がれないんですよね
自分自身じゃ難しいし 言葉では 言い表せない 何か 感動に 触れないと
 ダメなのかもしれません
何事にも 道行が必要だと思うんです
 人生の成就には 学校のように 飛び級なんて ないのかも

凡庸なオイラは 自我を抱えつつ 小さなことに 唯一の楽しみを見出して 
 生活していきますわ ははは

けめさん どうも~
新人教育シリーズは 一番最初は シリーズ化するなんて
 思ってもいませんでした
何せ 職場に 内緒のブログ開設ですからね・・・
 見つかったら 閉鎖しなけりゃならんのです ははは

当初は 目の前にいる 新人 それと
 同じような職種を 生業としている 仲間への メッセージだったんですけどね
たった 一年ほどで 色々な方々と 出会いましたし
 世の中も 相変らず 目まぐるしい

 人は ひとりで生まれて ひとりで 死んで行く・・・
そんな 言葉がありますが

 馬鹿を言っちゃあ いけません

母であったり 友人であったり 配偶者であったり
 誰か彼かが 傍で寄り添ってくれるから 人生の最初っから最後までを 謳歌できる
どのような 境遇であれ
 互いに 必要としている それは 必然的なことで
気付くことができるか 否か その差なんですよね
 出会いも 別れも含めて  
全ての事象が 自身へのチャンス 関わった相手へのチャンス
 一番 難しいのが 自分に勝つこと・・・
人生って 何とも アスリートさながらですね

庵主さん どうも~
どれだけ 偉そうに講釈たれても 所詮 当事者ではないんですよ
 どんな 綺麗ごとを言っても 真理を伝えても 真心を伝えても
摂理を説いても それは 相手に 少し触れるだけ
 触れる箇所で 受け入れてもらえたり 違和感を持たれたり

五体満足で人生を終える人は まず いないでしょう
 自分だけではなく 親や兄弟 配偶者 孫 ひ孫 子孫に 障害を持つ方が・・・
人生は どんな人でも 大なり小なり 波乱万丈です
 どのような境遇に置かれようとも
立ち上がる 胆力を持ちたいと オイラも願っています

姫乃さん どうも~
難しいけど 自然が 一番なんですよね
 自分らしく 自分を 発信していく それに 尽きるのかも
オイラの小学校時代では 3人の知的障がいの子が 記憶に残ってますね
 そのうち2人は元気でやってるようだけど
ナミジ君 あいつは どうしてるのかな~ 成人式でバッタリ会ったきりだな~

 島らっきょう ははは どうもね(*゚▽゚)ノ  何とか自分で探しますよ ありがとう
だってね~ 姫乃さんたちのような エネルギーないもんなあ~ ・・・
 妻に 疑われるし・・・(*ノv`)

ちゃちゃさん どうも~
人は 自分の持っているイメージと かけ離れてると ビックリしますよね
 きっと 乙武さんのお母さんには 両手足が 光に包まれて 見えてたんだと思います
ほんと 敵わないよね

みーしゃさん どうも~
豪気な親父さんですね
 強がりもあるのかもしれませんけどね
奥さんや 娘さんたちの存在が 大きかったと思いますよ

うん? なんか 足に 隠せそうだな (=゜ω゜)ノ

こんばんは。
今までのカブさんのブログの中で一番感動しました。
やっぱり、自分に引きつけて考えられるせいかな?
途中で障害を持つってのは、誰にも可能性があるんですよね。
ショック期、否認期、混乱期…などなど、本当にそうですね。
乗り越えられるのか?
なんとも言えません。
3.11で急に親や子供を亡くした人達も同じような過程をたどるんだなぁと思ってしまいました

ジャネット・ぽこ・リンさん どうも~
 混乱期と努力期の狭間で 非可逆的ということで
努力していて 頑張っているんだ もう 大丈夫だなと思っても
 翌日には 苦しみ悩む姿がある
その心境が 読み取れる場合もあれば 
 まったく 気付かない時もある
当事者に寄り添うには その距離感が 非常に難しい

 でも・・・ 仮に 言葉が通じなくとも 祈ることは出来るでしょうしね
やれることは ある

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