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2013年11月 9日 (土)

人生は 出会いと別れの繰り返し

 小学校に入学して 最初の日曜日

幼馴染と ふざけて遊んでいるうちに

高所より肩から転落し 右上腕部を 折ってしまった

よく 頭部を 打たなかったものだと 今更ながら 不思議に思うが

あれは ご先祖さんが 守ってくれたに 違いない

大きな音がして 子どもながらに 折れたと 主張したのだが

何せ 祖母も 両親も 田舎者

しっかりとした 病院で レントゲン検査すれば 長引かなかったものを

よりによって 按摩屋を呼んで 自宅で療養する 羽目となった

上がらぬ 右腕を ギリギリまで上げる 治療を施され
      ねじ
すっかり 拗けさせてしまったようだ

よく 進級したもんだが それで 1年生は 数日しか 通えていない

さすがの 田舎者の両親も

いつまでも 治らないので ようやく 設備の整った と言っても

小さな 町医者ではあったが

そこで 骨折と診断され 入院し治療することになった

ところが 一度 拗けた 俺の右腕は

その後も 2度骨折し 2度ヒビが入っては 入退院を 繰り返し

終いには 悪性じゃないかと検査までする始末

そろそろ 大丈夫だろうと 子ども心で 鉄棒に ぶら下がっただけで ヒビが入り

強風に煽られて 自宅前で 転倒し骨折

何度 手術台に 乗っかったことだろう

それで 2年生は 1学期 2学期を 通えずに過ごした

最期の手術で 両親は 牛の骨が 入ってるんだと 言っていたが

真相は判らず まあ 人工骨でも 入っているのだろう

この時は 骨が足りずに 自分の 両腰の骨を削り 腕に足したのだっけ

痛みは忘れたが 非常に痛かったのを覚えている

そのうち 意識が無くなり

手術が終わり 目が覚めた 俺は 看護婦に声を掛けられた

自分で降りられるかい?と 聞くから うん!と言い 足を着けようとしたら

そのまま 看護婦に 抱きかかえられた

腰の骨を 削って 立てるわけがない

そういや あの時の 看護婦 目が笑ってたもんな

その年は 大根の値が上がり 大層 黒字になったそうだが

すべて 病院代に変わってしまったらしい

2年生の担任は 女性の方で

病院にいる 俺のために わざわざ ドリルを 購入してくださり

定期的に お見舞いに来てくれた

俺は そのドリルだけで 1学期 2学期と 母と勉強したものだ

退院して 登校した その日に 漢字のテストがあって 見事に 零点

その時の 母の 笑い顔を 今でも 覚えている

女性担任は 本当に 良くしてくれた

3年生に進級して ある日

今では 体罰だということで 信じられないことだが

当時は 悪い事すりゃ 拳骨で頭を 一発ってのが 常識だった

親も 悪いことしたら 殴ってください これが 当たり前だった

その中でも 群を抜く スパルタ教師が 3年1組の担当だった

ある日 合同で 体育の日があって

なぜだか 紅白の帽子を 各クラス 10人ほども 忘れたらしい

有名なスパルタ教師が 生徒を 並べて ビンタを始めた

それに 抗えない へんみ先生が 目に 涙を浮かべて 俺の頬を 叩いた

俺は 痛みよりも びっくりして 目を丸くしたんだよ

俺が 転校することになって

お別れ会を 教室で 開いてくれた

サヨナラを 言う時  大きな涙を こぼしてた

 転校先は どんな 学校だろう? 友達 できるよな? 

  

楽観的に考えてた 俺だったけど

それで この別れは とっても とっても 重大なことだと 初めて気付いて 泣いたんだ

今でも 年賀状を下さる へんみ先生

 暫く 会えていなかったけど

  

3年前 大沼公園に ツーリングして 団子を購入

先生宅に お邪魔して 近況を 伝え合った

 玄関口で 失礼したけど 元気そうで なによりだった

その 先生が 亡くなったことを 今朝 新聞で 知らされた

 

  



  

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コメント

いい話だね。
今では信じられないような話だけど、
昔はそんな簡単に病院に行かなかったもんね。
でも大変な子供時代だったのね。
先生と大人になっても繋がりがあるのも、今では聞かない話かも。
メールがあるせいで、手紙のやりとりがなくなったからかな?
私も小学校の先生を思い出したよ。
数年に1度手紙をやりとりしてたけど、やっぱり数年前に亡くなられて。
学級だよりとか毎日出てて、丁寧な手書きのプリントだったな~。

自分が歳をとった分 先生も・・・
出会いもあるし別れもある・・・
3年前に会えてよかったね。。。
先生のお冥福お祈りします

こんにちは
そうか・・・・・・それは寂しいネ・・・・・・。
私は引越し人生を送ってきたので
先生とやり取りなんて考えられないだけに
切ないね・・・・・元気だして。

カブさん
いい先生とこの世で巡り会ったね。
きっと前世でもカブさんと一緒だったんだよ。
カブさんの成長を支えて見守るお役を買ってでたんだね。
先生はもう今頃は、この世で関係あった人みんなに挨拶して
肩をそっと触って「じゃあな 頑張れよ!」て言ってホーとしてるよ。

これから先 どの世界にいくかは先生自身できめるんだよ。
生徒達と交流して、この世の人生を有意義に過ごしたから、
もう、あの世で黙ってそーと天から関係あった人を見守る所に
旅立つでしょうね。光の世界です。

「先生 ご冥福をお祈りします。カブさん 頑張ってるから
これからも何かの時には、カブさんの気付きの力を
パワーアップさせて、知らせてくださいね。お願いします」愛より。

子供の頃のカブさん…大変な思いをして過ごしてたんですね(´・ω・`)
何度も 入退院なんて、自分の子供がそうだと想像すると
カブ母さんも 相当心配されたでしょうね(´;ω;`)ウウ・・・
沢山の先生と出会いますが、
いつまでも 心に残る恩師は ごく僅かです。
もしかしたら そういう先生に出会わずに
学生生活を終えた人もいるかもしれませんね。
3年前 先生にお顔見せに行って良かったですね。
先生もとても嬉しかったことでしょうね(*^-^)

皆さん お祈りのお言葉 また 励ましのお言葉 ありがとうございます
 一人ひとりに コメントに対する お返事をしようかと 思いましたが
読み返すたびに 涙があふれるのです 今日は これで 御勘弁願います 

そんなことが あったのですね。

なんて いい先生なのでしょう♪
 
ありがとうございます。

 

今晩は♪
今日のお話には心打たれました。小さい時にたいそうつらい思いをしたんですね。
人生いろいろ々~出会いがあって別れがあって~いくつも繰り返して
歳をとっていくのね。
先日の中学校の同級会の時出てくださった担任の先生にご挨拶行くと
○○さんが家庭訪問の時同じ地区の人の家を案内してくれた~○○は私です~と言っても目の前の私がその生徒だとはもうわからないのです。
50年近くも昔のことなので。でもお会いできてよかったです。


くぅー泣けるぜ、いい話だにゃー♡
先生の分も、いい人間にならんとにゃー!
先生のご冥福をお祈りします

こんにちは。
小学生のカブ少年、波乱万丈ですね。
びっくりびっくりです
へんみ先生にお会いして良かったですね。
きっと、今でもあの世から、カブさんを守ってると思います。
おお、へんみ先生、カブさん、安らかに…。アーメン
あっ、カブさんはまだでしたね。きゃあ、怒らないで~~~

大好きなせんせ、亡くなられたのですね。ご冥福をお祈りいたします。
うちのじいじ、小学校のときのせんせが、福岡の病院に入院されている
のを知り、お見舞いに行ったの。で、写真を見せてもらったけどもさ、
94歳のせんせと75歳のうちのじいじ、まるで同い年(^_^;)

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