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2015年7月25日 (土)

私たちは、怒らなければいけない 5

支援の質と基本的姿勢の欠如

 

裁判では、亡くなった被害者男性(19歳)の母親も証言に立っています。

まず、その言葉をようやく抜粋します(以下、引用文中カッコ内は編集部注)。

 

 息子が19歳で亡くなって1年。気持ちが整理できないまま、

暗い心の闇と戦っている。

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歳で生んだ、待望の男児だった。優しくてシャイで、友達とおもちゃの

取り合いになるとすぐに手を離して泣き出した。

気持ちが伝わらなかったり、不快なことがあると大声で泣き、

家の階段を繰り返し上り下りすることもあった。

レンジや換気扇の音がダメになったり、テーブルで座って食事できずに

家族で立って食べるなどした時期もあった。

 ラジコンやヘリコプターが好きで、主人と一緒にラジコンを飛ばしたり、

雑誌を見たりしていた。畑仕事も家族で一緒にした。

ホウレンソウのおひたしが大好物だった。

成長は遅かったが、そのぶん何かができるようになったときの喜びはとても

大きかった。

 小学校4年生の時、家庭の事情もあり、「プロがしっかりとみてくれる」と

信じて養育園にお願いした。それなのに、守ってくれるはずのところで殺された。

「亡くなったんじゃない」

この裁判の中で「自傷や他害がひどい」と繰り返し強調され、本当につらかった。

息子は、人を殴ったり咬んだりする子ではなかった。

3
歳のころからトイレができ、箸も持てた。転ぶことなく自転車を乗り回していた。

養育園に入るまで、普通の小学校の特別支援学級に通っていた。

入所当初は軽度の方がいる4寮で、のちに2寮に移動。2寮でも手がかからないと

言われていた。

 高校生の頃からおかしくなってきた。失禁する、握り箸になる、

自分の顔を叩く、大声を出すなど。普通に歩いていたのに、

高2の頃から急に背中を反らせて歩くようになった。

いま思うと、暴行されて痛かったからではないかと思う。

家に帰ると異食するようになった。

アルバムを出してきて、「お母さん」「おばあちゃん」「ヘリコプター」と

指さして、見つめていた。

いま思えば、落ち着くものを求めていたのかもしれない。

当時は養育園や職員を信じていたが、こんなことになって毎日のように

多くの職員から暴行を受けていたせいだと分かった。

「お母さん、助けて」と声に出したかったはず。

気づいてあげられなかったことが本当に悔しい。

 

 この言葉の通り、証言に立った職員や関係者は被害者男性について

「毎日暴れている」「非常に手がかかる」「他の利用者と比べて(力が)相当に

強い、本気で抑えないといけない」としか語りませんでした。

「被害者が自傷他害をするときにどう対応したのか」という問いには、

職員や施設の診療室医師は「制止する」「臨時に投薬する」、

施設長は「複数対応や投薬、具体的な方法にはこだわっていない」と

答えています。被害者男性が、何が好きで、どんな時に落ち着いていて、

何をしている時が楽しそうだったのか。これまでどんな人生を送ってきて、

将来的にどんな生活をしていきたいのか。彼の人となりについて誰一人、

触れることはありませんでした。被害者がラジコンが好きであったと知っていた

職員や関係者はいたのでしょうか。


                        続)

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