« 検査 | トップページ | 歴史 10 前漢 »

2015年9月25日 (金)

イスラム教 11 (10世紀~13世紀)

暗殺教団!


ニザール派は ファーティマ朝の布教者 ハサン・サッバーフによって創始された

 イスマーイール派の一派である

11世紀末 ファーティマ朝の時期カリフ候補でありながら 内紛によって殺害された

 ニザールを正統のイマームとみなす宗派で 政治的対立の解決方法として

暗殺を是とした 信者に大麻を与えて 暗殺を実行させたと言われることから

 他宗派から ハッシャーシュ(麻薬常習者)とよばれ ヨーロッパには 十字軍などを介して

暗殺教団として伝えられた

 その後ヨーロッパでは ハッシャーシュから転じて 「アサッシン」とよばれるようになり

  これが英語の「暗殺者」assassin の語源となる






アッバース朝は 西暦800年前後に 最盛期を迎えるが

 その後 軍人による半独立政権が 辺境地域に乱立して衰退し

   10世紀以降は ブワイフ朝をはじめ ファーティマ朝 セルジューク朝などが成立した


10世紀

 シーア派のブワイフ朝が 946年にバグダードを占領し 
            
かいらい
  アッバース朝は傀儡政権と化した また 「後ウマイヤ朝」や ファーティマ朝の君主が

   カリフを称し 3人のカリフが並び立つ事態になった


11世紀

 10世紀頃から 中央アジア一帯にいた トルコ系遊牧民のイスラム化が進行

   1038年に成立したセルジューク朝は バグダードを攻めて ブワイフ朝を滅ぼし

     アッバース朝カリフから スルタンの称号を得た

      ※ スルタン 「権威」の意のアラビア語  トルコ系の王朝の君主が用いる


12世紀

 十字軍の侵攻が本格化  ファーティマ朝に代わって サラーフッディーン(サラディン)が

  アイユーブ朝を開いたほか ムラービト朝に代わり 

    同じく ベルベル人のムワッヒド朝が成立した



13世紀

 東方からの異教徒の侵入にさらされる 空前の世界帝国を築いた モンゴルである

  
13世紀末に成立した オスマン帝国は スルタン(君主)による専制国家を築き

 1453年には ビザンツ(東ローマ)帝国を滅ぼすなど版図を拡大

   その結果 とくに キリスト教世界に属していた バルカン半島など

    帝国の辺境地域では イスラム教徒とともに ギリシア正教徒やアルメニア教徒

     さらには イベリア半島を追われて移住した ユダヤ教徒なども存在する

      他宗派混在地域となった

 彼ら 異教徒に対し オスマン帝国は 人頭税(イズヤ)を払うことで

  信仰の自由や 自治権を与える「ニッレト制」を採用するなど 寛容な政策をとった

 一方 インドでは ムガル帝国第3代皇帝のアクバルが ヒンドゥー教徒との融和を図って

  大幅な自治を認めたのに対し 第6代アウラングゼーブは 異教徒を弾圧したため

   各地で ヒンドゥー教徒らの反乱が起きた

  また イランの サファヴィー朝は シーア派を国教と定めたため 

   イランのシーア派化が進んだ

« 検査 | トップページ | 歴史 10 前漢 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

宗教」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

« 検査 | トップページ | 歴史 10 前漢 »

2022年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

かぶのブログ