歴史 9 項羽と劉邦(2)
前203年 膠着した状況を どうにかしようと
項羽と 劉邦の間で 天下を東西に二分し
東を楚 西を漢にすることで 合意が成立した
両軍は それぞれの拠点に帰還することになったが
劉邦軍は 停戦合意を裏切り 背後から 追撃したのである
がいか
前202年 亥下の戦い で 項羽は漢軍に囲まれる
その夜 楚の歌を歌う声が 項羽を包囲した
そこから 「四面楚歌」という 言葉が生まれる
敗北を悟った項羽は 最後の酒演を開くと 800騎余りの部下とともに
闇にまぎれて 漢の包囲を突破した
うこう
しかし 烏江に到達すると ここまでと覚悟し
その地で 追撃してきた 漢軍に立ち向かい その先頭のさなか 自らその首をはねた
項羽の首は 最大の手柄である
武功を焦る 漢軍らが こぞって 項羽の体を奪い合う
それは 互いに殺し合いをするほどであった
哀れ 項羽は 体を切り刻まれ 見るも無残な屍となった
戦争は狂気しか生まないのである
こうして 劉邦は皇帝に即位し 漢帝国が建国された
「皇帝ってのは オレみたいな イイ加減な人間がなるもんじゃない
もっと 立派な人間がなるものさ」
と言ったという しかし 家臣らが
「でも 将軍たちは皆 国を与えられて 王に出世している
あなたが皇帝にならないなら 彼らだけ王になっても意味が無い
あなたが皇帝家業をやっていく自信が無いなら 我々が命を掛けて守りますから」
と 言ったので しぶしぶ従ったという
この話しは 農夫出身の彼の 純朴な人柄をよく表している
必死に項羽と戦って勝ったのはいいが いざ 皇帝の位を前にすると
なにか堅苦しくて 荷が重いというのが 本当のところだったのだろう
劉邦(高祖)は 気の荒い男で
「史記」には 十何回も 彼が人を罵る場面が出てくる
自分の感情をむき出しにして ワーっと言って あとは 何もなかったように
ケロッとしているところが どこか 憎めないタイプだったようだ
ある日 家臣らと酒を飲んでいるとき 高祖(劉邦)が言った
「キミたち 遠慮はいらないから 本当のことを言ってくれ
オレが天下を取れて 項羽が取れなかったのは 一体なぜだろう」
なにしろ 無礼講だから 家臣たちも遠慮会釈ない
「あなたは 国を攻め落とすと すぐそれを人にやってしまう
だが 項羽は 自分より賢い人には嫉妬するし 戦に勝った者を大事にしないし
土地を得ても人にやらない これが 天下を取れなかった原因でしょうな」
高祖は ワハハと高笑いし
ちょうりょう
「分かってないな キミは オレは謀略をめぐらすのは 張良には及ばず
しょうか かんしん
国を治めるのは 蕭何には及ばず 100万の兵を動かして戦うのは 韓信に及ばない
だが この3人をうまく使いこなした
はんぞう
項羽はせっかく 范増がいたのに使いこなせなかった
これが オレがあいつに勝てた原因さ」
と 答えたという
つまり 高祖は人を使う天才だった 強欲な男たちに ケチらず領地を振る舞い
持って生まれた才を十二分に発揮したくて ウズウズしている男たちに
その機会を与えてやったのである
と 良いことばかりではないのである
若いころの高祖(劉邦)は 酒色に溺れる ただの小役人
ヤクザのような生活を送っていたのである
りょち
貧乏で 荒くれた生活を送っていた 彼に 呂雉が嫁として嫁いでくる
りょたいこう
後の 呂大后である
彼女の 所業は 因は高祖にあったとしても 文字に起こすのも おぞましく
ここでは 省かせていただく
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コメント
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投稿: 音姫 | 2015年9月16日 (水) 08時45分
なるほどのぅ~~

成功する人というのは、やっぱり人を動かす力があるものなのね。
何事も人間関係が大事ね!!
投稿: つぶあん | 2015年9月16日 (水) 09時52分
人心を掴むって大事だぞーーカブちゃん
呂太后…悪女だったのね(・ω・)ノ
投稿: ちめの | 2015年9月16日 (水) 13時26分
栄枯盛衰世の習いと言うけど やっぱり 最後は贅沢と慢心が呼び寄せるんだよね
さて あの世とやらが無くて 地獄も無くて この世 一代のものであったら
ヒトは好き勝手やるんだろうね
投稿: カブ | 2015年9月16日 (水) 18時09分