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2015年9月15日 (火)

歴史 8 項羽と劉邦(1)

始皇帝時代からの 大規模工事は 戦争以上に人民に苦役を強いた

 人々の不満は充満し 前210年の 始皇帝の死によって それが 噴出

前207年 各地で 叛乱が起きるようになった
                        こうう     りゅうほう
 その中で 頭角を現してきたのが 項羽 と 劉邦 である

項羽は 楚の国の将軍の家の出身であったが

 彼が物心ついた頃 すでに 楚は滅亡していた

前209年 各地で 秦の圧政に耐えかねた人々が 叛乱軍として決起

 秦に滅ぼされた かつての 6強国では それぞれの王が立ち上がる
                   こうりょう
  かつての 楚の将軍家の 項梁 と共に蜂起したのが その甥の項羽であり

   農民出身の 劉邦であった

項羽軍は強く 連戦連勝で その戦い方は 激烈で 殺戮につぐ殺戮であった

一方の 劉邦は なるべく戦闘をせずに 肉弾戦より 調略を重視し 各地を制していった

だが 先に 秦の都にて 秦王を討ったのは 項羽であった

 最高権力者を倒した者が 次の権力者である

  項羽が すべての実権を握ったのである

項羽の統治は 秦王朝の封建制度を真似したものであった

 秦との戦いで 論功のあった将軍たちや 

  旧6国の旧王族たち18人を全国各地に封じて 王にした

 項羽の論功行賞に原則が無く公平でもなかった

  そのため 不満が鬱積

項羽に不満を抱く者は 漢に封じられた 劉邦のもとに参集した

 こうして 項羽と 劉邦の 死闘が始まったのである

         ほう
   ※ 封じる~ 領地を与えて そこの支配者に取り立てる 


項羽は もはや天下は自分のものだと錯覚し
                             かいおう
前205年 彼の権威の拠り所であった 楚の 壊王を 殺してしまう 

 これによって 劉邦には 項羽討伐の 大義名分ができるのである

挙兵した 劉邦 率いる 項羽討伐軍であったが

 56万もの兵を有しながら 3万の 項羽軍に負けてしまう

その後も 楚と 漢の間で激戦が各地で展開される

 この間 項羽のもとからは 有能な臣下が離反し 劉邦軍に寝返るなど

  項羽の人徳の無さによる 陣営のほころびが目立ってきた

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コメント

三国志 (。・w・。 )

今日も1日がんばってお仕事 お仕事

やっぱりさ、力だけで押し切るような人徳のない上司は
有能な部下に見離されるのよね。
身近にもあることだわ。

グやグや汝をいかんせん って、項羽が死ぬ前に
嘆いたセリフが、漢文の教科書に載っておったような??

音姫さん どうも~

三国志の時代までは あと5つくらいブログをUPしなきゃ 到達しないのです
 中国の歴史は長い (◎´∀`)ノ

つぶあんさん どうも~

 戦争はいつの時代も残酷 そして人のありようも いつの時代も同じなんだよね

ちゃちゃさん どうも~

「力は山を抜き 気は世を覆う 時利あらず騅(すい)ゆかず
 騅のゆかざるをいかんすべき 虞や 虞や なんじをいかんせん」

我が力は山をも抜き、我が覇気は天下をおおった。しかし今、時の利に見放され、わが愛馬の騅(すい)も前に走りだそうとしない。騅が進まぬ事をどうしたらよいというのか。虞(ぐ)よ、虞よ、今はそなたをどうする事もできない。 (≧∇≦)

おおおおお
だんだんと三国志の世界に近づいてきたね♪
諸葛孔明 Loveだったのよね(*^。^*)

姫乃さん どうも~

 諸葛孔明だけじゃなく 関羽や張飛も 好意的に書かれた書物が多いですしね

ところで中国人って 唐人とかじゃなくて 漢人と称するって本当だべか?

漢人=漢民族?
中国ってさ、権力の中枢にいるのは漢民族だもんね
それ以外はだめ~~って世界でしょ(*^_^*)

姫乃さん どもども

 最初っから 漢民族っていたわけじゃないよね

 夏(商) 殷 周 秦 って時代があって 次いで 漢の時代になって
  国の名前は変われど ほぼ同じ民族が住んでたんだよね
漢に拘る理由がよく判らんのよ (。・w・。 ) 三国志との絡みだべかな~

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