カテゴリー「言の葉」の69件の投稿

2018年1月18日 (木)

「忘れられるということ」

 

 世間には自分が忘れられるのを恐れている人が多いような気がする。

銅像を作ったり、自分の名前のついた賞や記念事業をしたがったりする。

 

 しかし私は、賞を取ったり、死んだりした時、忘れ去られることほど

すばらしいことはないと思う。

 

 もし私か人殺しでもしていたら、被害者の人たちに、私のことは忘れて

くださいと言ったって忘れてもらえるものではない。

 

 だから忘れられるというのは、ほどほどに成功した人生の証拠である。

 

 私の亡骸が上に返り、その上を吹き過ぎる風も、その上に生える野の花も、

何一つ私のことは語らないし知らない。

 

そういう結末は実に明るい。         

 

        『自分の顔、相手の顔』

 

 

         出典:曽野綾子著 「引退しない人生」 海竜社


俺は 生の証として ブログを紡いでいるのだろうか?

忘れられるのが 怖いから

ああ 俺が死んでも 心配してくれる女性がいなくなってしまった

忘れ去られてしまった

周りの人は

大丈夫 きっと いつか 笑える日が来るから と言うが

想像できない 

抜け殻のようだ

2018年1月15日 (月)

春在枝頭已十分

    (はるはしとうにあってすでにじゅうぶん)

 解説

 これは

  終日尋春不見春  終日春を尋ねて春を見ず

  杖藜踏破幾重雲  藜(あかざ)の杖をつき踏破す幾重の雲

  帰来試把梅梢看  帰り来足りて試みに梅梢を把りて看れば

  春在枝頭已十分  春は枝頭に在って已に十分

 という、宋の載益(たいえき)の「春を探るの詩」の中の句です。

 春はどこに来ているのだろうと、一日じゅう春を尋ねてみたが見えない。

 あかざの杖をついてあちこちと歩き回り、疲れた足を引きずって帰ってきた。

 ふと自分の家の梅の枝を手にとってみると、花がふくよかに香りを

 はなっていた。探していた春は自家にあったのだ、という意味です。


 寸話

 人は幸せを求め、大きな望みを抱くわけですが、ここにもあるように、

真の幸せというのは、ごく身近にあります。幸せというのは、自分の心以外の

ところに、ゴロッと転がっているわけではありません。

 ある禅僧に、如何なるかこれ苦、つまり、苦しみとはなにかと聞いたら、

幸せと答えています。それでは幸せとはどんなものですかと尋ねたら、

苦しみと、このように答えています。


 苦しみと幸せというものは、裏と表なのです。何の裏と表かというと、

自らの心の裏と表にすぎません。

ですから、その幸せや苦しみのもとになっている心というものから、

幸せも出れば、苦しみも出るのです。 
 幸せというものを、自分の心の外側に求めるということは、如何にも愚かな

ことではないか、放っておいても、春がくればおのずから枝々には花が咲いて、

自分の家の庭も春色はすでに十分になってきているではないか、

そういうことを意味していることばです。


 人生を有意義に生きるには、

  自己反省がまず第一ということを表わしています。



   出典: 平田精耕著 「禅語辞典」 PHP



はたして・・・

 春まで 生きる気力を 保てるだろうか(ノд・。)

2017年2月20日 (月)

「すべては仮初めの幻」 

  長く生きれば、「得る」こともあるだろうが、それ以上に「失う」ものも多いのだ。
それが中年以後の宿命である。
 新約聖書の中には、四つの福音書と共に、十三通の聖パウロの書簡が含まれている。
 聖パウロはいわゆる十二使徒ではなかったが、初代教会を建てる上で最大の功績が
あった人である。しかも聖パウロは、実に表現力の豊かな人であった。
 その文章はいたるところで深く人の心を捉える。そして聖パウロはまさに中年以後
の人に対しても、心を抉(えぐ)るようなすさまじい言葉を贈っている。
 「兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻の
ある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、
物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人の
ようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」
 
                                      (コリントの信徒への手紙一 7・29~31)
 妻と過ごす生活を楽しんでもいいのだ。泣くほどの辛いことがある時、泣いてもいい
のだ。嬉しさに舞い上がりそうな時は、舞い上がってもいいのだ。すべてのことにかか
わってもいい。
 しかしそのすべては仮初めの幻のようなものだから、深く心に思わないことだ、と
聖パウロは警告したのである。                
   『中年以後』
             出典:  曽野綾子著 「引退しない人生」  海竜社 

2016年12月 7日 (水)

おうむしょじゅうにしょうごしん

應無所住而生其心

【解説】  「応に住する所無うして其の心を生ずべし」と訓読します。
  まさにじゅうするところのうして そのこころをしょうずべし

「住する」というのは、心がひとつところにとどまることです。すなわち、心をひかれる、

心をとらわれる、執着心を起こすことです。

これがわれわれ人間の迷いを生ずる根本原因です。

  中国禅宗の大成者 慧能(えのう)禅師は、貧窮の年少時、薪を売って糊口をしのい

でいました。
                           おうむしょじゅう にしょうごしん
ある日、とある家から流れる読経のなかに「応無所住而生其心」と言っている声が耳に

残ったので、その僧に尋ねると、経は『金剛経』であることを教えられました。
     ぐにん/こうにん        けんしょうじょうぶつ
 そして弘忍禅師が『金剛経』の見性成仏の教えを説いていることを聞いて、ただちに

弘忍禅師の門をたたくことになったのです。

  心は動きたいように動き、どこにもとどまらないことが肝要です。

これが無所住です。

 それでこそ臨機応変、いかなる事態に遭遇しても事を処することができるのです。



「寸話」



 これは経典の中に出てくることばで、ちょっと難しいのですが、「応に住する所無うして
その心を生ずべし」と読みます。

 人間の心というものは、ころころ、ころころと変わります。昨日泣いた烏がもう笑った

ではないか、最愛の女房に死なれ、天地も裂けんばかりに嘆き悲しんでいたのが、

一年後には別の女房をもらって安楽に暮らしているというように変わっていきます。

これは決して悪いことではなく、それはそれでいいと思います。同じ心が悲しんだり、

喜んだりしているのが人間の心です。ころころ変わっていくので「こころ」というのだと

もいわれています。
  住する所が無いという意味は、たとえば、人間の心が何かの思いを起こして、

その思いがもし一生涯消えないということにでもなったら、それはたいへんなことに
なります。

  一旦悲しいことがあったら、死ぬまで泣きっぱなし、一度嬉しいことがあると、

一生涯げらげら笑いながら死ななければなりません。実に心というものは変幻
自在に動いていくもので、だからこそ人は生きていけるのです。

  しかも、心そのものは喜怒哀楽いずれの心でもありません。どの心でもないから、

喜んだり、悲しんだりすることができるのです。
 このどの心でもないところが人間の心の本当の姿なのです。

その心を金剛経では「応無所住而生其心」ということばで表わしています。
                     しんふかえ
 ちなみに、ダルマ大師はこれを「心不可得」ということばで表わしました。


                                        出典: 平田精耕著 「禅語辞典」  PHP社 



それは そうなんだろうけど・・・


    ダメだ ・・・
   すくわれない

2016年3月20日 (日)

ジョブズのスピーチ

あ”~~~

 あらら~ だから まだ 早いって いったっしょや!

  持たせちゃったの?



ん?

 それがな なかなか どうして

  たいしたもんだ

   最初っから や~んわり そろ~り・そろ~り って 撫でるように触ってな

そろそろ 危ないかな って 思って 抱きあげったっけ

 むんず って にぎっちまったのよ 




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Photo
ははは

 ま~ しかたね~よな・・・

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

スティーブージョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ、

彼は最後に「ステイーハングリー、ステイーフーリッシュ」と言うのですが、

その前に三つのストーリーを語りました。
 
 最初に語ったのは、自らの生い立ちと家族についてのストーリーで

『何かを信じて進むこと」の大切さを説きました。
 次にビジネスのストーリーから「誠実さを失わずに愛せるものを探しなさい」

と説いています。
 
 そして、三つ目に自身が膵臓ガンに冒されて闘病中であることを語り

「人生は有限なものだから無駄にするな」と
説きました。
 
 このスピーチがなされたのは二〇〇五年六月のことで、

ジョブズはその一年前に膵臓ガンの宣告を受けています。
そして二〇一一年一〇月に人生の幕を降ろしました。
 ここで彼が人生の有限性について、どう語ったかをピックアップしてみましょう。
 十七歳の時、こんな言葉と出会いました。『毎日を人生最後の日だと思って

生きていれば、いつかその思いが正しいと
わかる日がやってくる』。

そして過去三三年にわたり、私は毎朝、鏡に向かって『もし今日が人生最後の日ならば、
今日するつもりでいたことをやるだろうか?』と自問してきました。

そして『ノー』という答えが何日も続くようならば、
何かを変えるべき時が来たと

気づくのです」
  「もうすぐ死ぬかもしれないという思いは、人生で大きな選択をするときに、

自分にとっての最も大切なツールになりました。
 死を前にすれば、周囲からの期待やすべてのプライド、失敗への恐れなどは

  どこかに消し飛んでしまいます。そして残るのは、
本当に大切なことだけです。

心に従わない理由などありません」
 「人に与えられた時間は限られています。誰かの人生のために、

それを無駄にしないでください。

心と直感は、あなたが
進むべき道をすでに知っています。

それ以外のことは二の次でいいのです。」
 ジョブズの言葉には死の重みを背景にした非常に重い意味があります。

なかなかこんな風に考えられないものです。
 「今日できる仕事は明日にするな」という格言がありますが、

「イージゴーイング」「気楽な生き方を、明日できる仕事を
今日するな」という言葉で

切り返す人もいる。

私は、人生でこの時期にしかできないことは、行うよう心がけよ、だと
思っています。
 
 雑事がやってくる。本人は気づかないかもしれませんが、ちょうど時期に適う仕事が

訪れたのかもしれない。
 私は、先人の言葉を鵜呑みにするのは避けていますが、ジョブズの言葉には大いに

共感するところがあります。
 
 人に与えられた時間が有限なことを、私の場合は三〇代前半に自覚したように

思います。遅かったと思います。
それは連続する雑事を消化する過程の裏返しとして訪れたのかもしれません。
 雑事を無為と思うべきではない  同じ年(一九五五年)に生まれたスティーブージョブズ

が五五歳で世を去り、
その感をあらたに噛みしめました。


             出展:川口淳一郎著:「閃く脳の作り方」 飛鳥新社


興味のあるかたは ぜひ!

 「閑話休題」

2016年1月18日 (月)

ときのゆらぎ

すべてのものに時期がある。  

天が下のすべての事には季節があり すべてのわざには時がある    

生まれるに時があり 死ぬに時があり    

植えるに時があり 植えたものを抜くに時があり    

殺すに時があり いやすに時があり    

こわすに時があり 建てるに時があり    

泣くに時があり 笑うに時があり    

悲しむに時があり 踊るに時があり    

石を投げるに時があり 石を集めるに時があり    

抱くに時があり 抱くことをやめるに時があり    

捜すに時があり 失うに時があり    

保つに時があり 捨てるに時があり    

裂くに時があり 縫うに時があり    

黙るに時があり 語るに時があり    

愛するに時があり 憎むに時があり    

戦うに時があり 和らぐに時がある  

もう三年遅くめぐり会っていれば、あるいは結婚したかも知れない相手と、

  少しばかり早く会いすぎることもある。

 しかし同じ梅の実でも未熟なものは、危険なのだ。  

同じ相手でも、時が来ぬ前の恋はうまくいかない。                                      



『誰のために愛するか』

 自分を言葉の上で陥れた人たちに対して、強烈な悪意を抱いていた人がいた。  

殴り合いこそしなかったが、いつもいつも、その人が自分についてどんなデタラメを

言っているかを世間に 訂正し続けなければ、その人の心は休まらないのであった。

 それが突然、ある時期からこの人はその手のことに触れなくなった。

「語る時」があった後で、この人は「黙する時」を見つけたのだ。  

それは季節の遷り変わりと同じように自然さに満ちたものなのかもしれない。

人間は普通、俄に深い知恵を持つことはできない。

 人は長い年月、時には迷い、時には間違い、時には愚かなことに情熱を燃やし続けて、

その果てに最高の選択の時に出会う。

 雪が降り、若芽がふき、灼熱の太陽が出て、その後に初めて紅葉の色鮮やかな秋に

導かれるように、である。

『生活のただ中の神』       出典:曽野綾子『人間の分際』 幻冬舎新書

2015年11月27日 (金)

禁凶報告 よ

  「すべての人が

 


幸せを求めている。

  


 しかし幸せというものは

 


  そうやすやすと

 


   やってくるものではない。

  


時には不幸という

 

 帽子をかぶってやってくる。

  


だからみんな

 


 逃げてしまうが、

 


  実はそれが幸せの正体だったりするのだ。」

:

[

[



「雑魚は雑魚なりに、

 


 大海を泳ぎ。

  


我は我なりに、

 


 大地を歩く。」

    


「川はいつも

 


 流れていなくてはならぬ。

  


頭はいつも

 


 冷えていなくてはならぬ。

  


目はいつも

 


 澄んでいなくてはならぬ。

  


心はいつも

 


 燃えていなくてはならぬ。」

    


「日の昇るにも

 


 手を合わさず、

 


月の沈むにも
 

 

 心ひかれず、

 


あくせくとして

 


 一世を終えし人のいかに多きことぞ。

  


道のべに花咲けど見ず、
 

 

 梢に鳥鳴けど聞かず。

  


せかせかとして

 


 過ぎゆく人のいかに多きことぞ。

  


二度とないこの人生を

 


 いかに生き いかに死するか、

 


耳をかたむけることもなく

 


 うかうかとして、老いたる人の いかに多きことぞ。

  


川の流れにも風の音にも

 


 告げ結う声のあることを知ろうともせず、

 


金に名誉に地位に狂奔し

 

 
 終わる人のいかに多きことぞ。」
 
[

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出典:主な作品(詩集・随筆集・詩画集等)に『自選坂村真民詩集』『坂村真民全詩集』

『念ずれば花ひらく』『生きてゆく力がなくなる時』『愛の道しるベ』『自分の花を咲かせよう』

『花一輪の宇宙』『あうんの花』『二度とない人生だから』『鳥は飛ばねばならぬ』『タンポポ』

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っつ~ことで

 Photo_2
せっしゃ!

 切腹を 仰せつかったのでごじゃる・・・

  しばしの おわかれでごじゃる

このブログが 今後 UPされずば 

   天をあおいでいただきたいのでごじゃる

 あ~ 先に逝ったのか?・と   

                   だぁ~はっはっはっ ヽ(*≧ε≦*)φ



2015年11月 4日 (水)

表裏一体

私は、子供にも、際限なく深く裏表のある人間になって欲しいと思うのである。
 裏表のない人間という言葉は、本来は宗教に起因した美学から出たものである。
 誰にも見られなくとも、神を常に意識し、神に向かって、強烈に自分自身を晒し続けて

生きることだけが、本当に裏表のない人間ということである。
 心と言葉、心と行為とがまったく同じ単純人間など美しくもなければ、偉大でもない。(中略)
裏表を意識し、その実態を知る時、子供たちは改めて人間の哀しさと優しさを知るであろう。
 その長い迷いの後に、明確な裏表の何を意味するかを知りつつ、それに従う時、

彼は初めて精神を持った「人間」になる。
                                     『あとは野となれ』
                         出典:曽野綾子「人間の分際」 幻冬舎新書


人は 不幸が訪れると 真っ先に 神を呪う 

 神とは何かも知らぬくせに

  まったく 勝手な生き物だ

2015年11月 3日 (火)

気弱・・・

みんなも知っているでしょう。アメリカの雑誌記者のラフカディオ・ハーンという人が、

世界のいろいろな国の民族学の調査をするために、日本にも来たんです。
そしてかれは、日本という国の原点を調べるために、出雲(島根県)の松江に行きました。

出雲の国は日本が起こったところですね。

そして、松江中学校の英語の先生になって生活を始めました。
 松江では武家の屋敷を借りて暮らしましたが、ある日の朝方、まだ太陽が昇る前に、

自分の家の塀の先で、大勢の人がガヤガヤガヤガヤ言っている。

なんだろうと思ってひょっと垣根の外を覗いてみたら、村の人が川堀でうがいをしたり、

顔を洗ったりしているんですね。
一体この人たちは何をしているのかと思って見ていたら、山から太陽が昇ったとたんに、

みんな太陽に向かって、
「きょうも一日お願いします」と言ってパチパチと手を打ってお祈りをしていた。
 これを見てラフカディオ・ハーンは、「世界にこんなすばらしい国民はいない。

私はここの国民になる」と言って、小泉八雲という名前で日本に帰化するんです。
そして自分のお嫁さんも、日本人以外はもらわないということで、節子さんという日本人の

女性と結婚して、お子さんをもうけているんですね。
 ハーンの随筆に、日本の女性の微笑について書いたものがあります。日本の女性の

微笑は世界中で一番美しいというんです。

どんなつらいことがあっても、日本の女性は常に美しい笑顔を浮かべている、というような

ことを書いているんですね。
ラフカディオ・ハーンが、日本がすばらしいと言ったのは、日本人が太陽のめぐみを大事に

するからだったのです。
太陽からのめぐみに感謝して生きるという心のバックボーンを持っている日本人に、

すっかり心を奪われたということですね。
 とにかく、わたくしたちの生命の一番目の原因として、わたくしたちの先祖が大事にした

のは太陽だったということ、これはみんな、頭のどこかに置いておいてください。
                                        出典:境野勝悟「日本のこころの教育」 致知出版社


せめて 看護婦さんの笑顔で 救われますように・・・

 おてんとうさん 頼んまっせ! m(. ̄  ̄.)m

2015年10月 2日 (金)

うちゅくちい クニ ニッポン

リーダーシップについて語られることは多いが、そもそもリーダーの役割とは何かという

問いはあまり目にしない。

数人で海外を旅行していて飛行機の乗り継ぎに遅れてしまい予定が狂ってしまった、

というような場合にもリーダーが必要になる。

 リーダーになるのは「どういう対応策をとるか」わかっている人だ。数人の旅行グループから

企業組織、そして国家まで、リーダーは現実に対応し適応するために

「組織として何を目指すのか」「そのために何をやるのか」ということを決定し、

実現できなかったら責任をとるという役割を持っている。

人望があるとか、剛胆であるとか、忍耐強いとか、リーダーとしての資質が話題になることが

多い。

だが、わたしはリーダーの「資質」などどうでもいいと思う。どんなに優れた資質があっても、

「何をすればいいのかわからない」リーダーは組織を危うくする。

 リーダーは、「どこに問題があるのか」「何をすればいいのか」わかっている人でなければ

ならない。

映画『硫黄島からの手紙』で名将として描かれた栗林忠道大将にしても「何をすればいいか」

をまず把握し、海岸線の陣地を捨て山中に無数のトンネルと地下壕を掘り持久戦に持ち込ん

で敵を苦しめた。

 「何をすればいいか」を把握したあとは、戦術の細かな優先順位を考え、組織を団結させ、

リスク要因を取り除き、ひたすらゴールを目指す。

相変わらずリーダーの資質が話題になることが多いのは、近代化という大きな共通のゴール

があった時代の名残だろう。何をすればいいかが社会全体で共有されていたから、

単に資質を語るのが好まれてきたのだ。

 「わたしはこの会社を変えます」みたいなことを言う経営者はだいたいダメな人が多い。

「わたしが日本を変えます」という政治家に対し、

いつもわたしは「まずお前が変われ(代われ)」と思う。

どう変えるのか、そのために何をするのか、優先順位はどうなっているのか、

結果が出なければどう責任をとるのか、そういった具体的なことを言わないリーダーは

信頼できない。

 ダメなリーダーに共通する特徴がある。

訓辞や演説や会見において主語と述語がはっきりせず修飾語を多用するのもその一つで

最近だと、「命がけで」「しっかりと」「きちんと」「粛々と」などが流行っているようだ。



                       出典: 村上 龍 「無趣味のすすめ」 幻冬社


( ,,-` 。´-) なんてことはねえ バランス感覚だべや

 それと・・ 生かされてることへの 感謝だな

・・・

 でもな~

  世の中 色々あるよな~


  今度 酔生夢死について 持論でも述べるか?

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