歴史 10 前漢
秦の始皇帝によって擁立された郡県制は 項羽によって いったんは 封建制に戻された
その後を継いだ 劉邦は その 折衷案ともいえる 郡国制を導入した
42あった群のうち 15を漢帝国の直轄地とし
皇帝直属の中央から派遣された役人が統治した
その他の郡には 周時代の封建制のように 軍功のあった者や 一族が王や諸侯として
封じられ かなりの独立性をもった
つまり 一つの帝国に 二つの制度が生じたのである
血筋が正しいわけでもなく 項羽のような天才的な軍人でもなかった劉邦は
皇帝になってから 不安に襲われた
面倒見が良く 人に慕われた劉邦は 別人になる
側近や親しい仲間だった将たちを 次々と粛清し始めたのである
げいふ
前196年 諸侯の一人 黥布は 粛清されそうになったのを察すると
先手を打って 叛乱を起こした
劉邦は 自ら兵を率いて これを鎮圧するが
その戦いで受けた傷がもとで 翌年 前195年6月1日 没するのである
ごそしちこく
前154年 呉楚七国の乱が起きるが 平定され 諸侯の力は衰えていく
武帝の時代に 郡県制が復活し
これにより 皇帝に権力が集中する中央集権国家が成立した
秦代から漢代にかけて確立した 皇帝を頂点とする政治・社会制度は
その後 2000年以上にわたり 中国を統治する支配システムとなったのである
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しばせん
歴史書の規範とされる「史記」は 武帝の怒りによって去勢された 司馬遷の筆による
中国上古から 武帝期までの通史で 本紀(年代記)と列伝(伝記)とで構成される紀伝体の
はんこ
形式をとっている また 後漢の班固も前漢一代を記録する「漢書」を紀伝体で著した
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